ご挨拶
和服・法衣・装束
染み抜き・汗取り・丸洗いはお任せください。
こんなことでお困りではありませんか?
雨の日に着物を着たら、雨じみやドロハネがついた。
着物を借りて着たら、染みがついてしまった。
結婚式に黒留袖で出席したら、袖にケーキがついたので、タオルで拭いたら白く摺れが出てしまった。
次のシーズンが来るまで夏物(冬物)をきれいにして、しまっておきたい。
もっている着物をきれいにしてから、人にあげたい。
タンスを開けたら、喪服がカビだらけになっていた。
パーティーで乾杯をしたら、着物にビールがかかった。
当社は資格を持った職人が、毎日、毎日、このような着物の事故を専門に解決している工房です。
(有)京都ききょう屋
京都ききょう屋の歴史
京都における和装品のお手入れ業は、着物の誕生と共に発生したと伝えられています。
その昔、職人が鴨川で友禅染を洗って河原に干しておいたところへ、東山から飛んできた鳥に糞を落とされ、慌てて水洗いをしたら、その部分だけ色が抜けていました。これは、鳥の糞の中に含まれる消化酵素が、染料を抜いてしまったと考えられますが、このような偶然の連続から、汚れや染みを取る技法が開発されてきたという伝説が残っています。
正式な文献によりますと、今から270年ほど前の江戸時代=享保14(1729)年ごろ、一般の町民は木綿や麻、紙に渋を引いて作った紙子などを衣類にしていましたが、今でいう宮内庁、すなわち禁裏御所に納入される絹衣料は、高貴な品物として扱われ、その製作には特別な注意を払って完全品として上納されたと伝えられています。その染織物を引き受け、欠陥箇所を改め、修理を施す仕事が、そもそも、染み抜き屋の始まりで、「御手入司」と呼ばれていました。
文化2(1805)年、京都の錦小路新町に「桔梗屋」が、山田伝兵衛氏によって創業されました。ききょう屋西別府は、その流れを継いでおり大正8年に創業。
西別府末吉 初代
西別府真三 二代目
西別府康平 三代目=と現在まで続いてきた、着物の染み抜き屋でございます。
社長 染色補正一級技能士
西別府 康平