創業100周年に向けて

ききょう屋創業百周年によせて

 

有限会社京都ききょう屋 

代表取締役社長 西別府 康平

 

大学生の時アルバイト感覚で、家業である染色補正業を始めました。

目的は車を買う為です。

当時は、授業時間を削って仕事をしました。

お陰様で学生としては、結構いい車に乗ることが出来ました。

また、仕事にも力が入るようになり、当店にいた若い職人さんと競い合い、

1日に洗った着物の数100枚という記録を達成しました。

 

2代目の僕らのおやじは保守的な業界の中では、革新的な発想の持ち主で、

当時業界ではあまり購入されていなかった、クリーニングドライ機を導入し、

着物の丸洗いを始めました。

 

私は無事大学を卒業して、

当店に入社し本格的に当店の仕事に取り組む様になっていきました。

仕事もだんだん面白くなって行き、作業を工夫することによって、

それまで取れなかった浸みが取れていくのは快感でした。

 

クリーニングドライ機だけではなく、浸抜きの機械等もいろいろなメーカーから発売されてましたが、

当時の職人さんと言われる人達は、保守的な感覚、仕事場のスペースの問題や、

高額なこともあり取り入れる所は少なかったと記憶しています。

また、機械に頼るのは、仕事が下手な証拠という考えの人が多かったということもあります。

 

実際業界には、国家検定1級と2級という資格があり、

実技の試験には最新の機械等は使用禁止で、刷毛・水桶・ヘラ・ブラシ等、

昔ながらの道具のみ使用可能という規則になっていました。

こういった考え方が機械化の妨げになっていました。

 

高度な技術と便利な機械とがあればより一層良い仕事が出来る。

それにはある程度の投資も仕方ないのではないか、という考え方でしたから、

便利な機械は積極的に導入しました。

 

1級技能士、伝統工芸士、クリーニング師、危険物取扱、有機溶剤作業主任者等、

仕事に対する知識に繋がるものがないかと、積極的に関連した資格を勉強して取得しました。

結果このうち幾つかは仕事上必須の資格もあり、勿論、知識の上でも大いに役立ったものもあります。

 


 

大変だった事は

着物の製造時、友禅加工の工程における問題により、加工から1~3年以上経過した着物に、柄が剥離するという現象が多発した時期があり、ドライクリーニングが原因と言われトラブルが多発したこと。
最近の事では、馴染みの染料店の廃業が寂しくて残念。

 

嬉しかった事は

苦労、努力した仕事で綺麗になり、お客様の喜びの声

 

今後にむけて

技術を更に向上させる。
工程等を単純化するなど。

1 COMMENT

Dad's bread n' coffee

貴社創業100周年、誠におめでとうございます。
いつもお世話になりありがとうございます。
益々のご発展をお祈りしております。
創業時(?)の写真は、新町通りでしょうか? 市電の写真も含めて貴重な証ですね✨

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